沿革

1950年5月
江戸川区に個人企業として主に白心可鍛鋳物の生産を目的に創業。
1953年8月
資本金150万をもって株式会社に改組し、黒心可鍛鋳鉄・パ―ライトマリアブル・ダクタイル鋳鉄等・鋳造全般の製造を始める。
1967年3月
資本金を600万とする。(授権資本を2400万に改める)。
1967年6月
量産化による生産性の向上、技術の研究開発等を指向して千葉工場を建設、量産全自動型設備(A.S.D.ライン)の設置を計画、鋳造・焼鈍工場が順次完成。
1968年5月
仕上工場を完成し、江戸川技術開発工場、千葉量産工場としての体制を確立した。
1973年
低周波誘導電気炉を設置した。
1973年12月
千葉工場に高速全自動造型設備(FMM-2Bライン)を設置。
1974年1月
千葉工場に高速全自動造型設備(SM50-DXライン)を設置。
1975年1月
千葉工場の量産化計画完遂に伴い、多品種少量生産工場として会津工場を発足した。
1977年
低周波誘導路を2基に増設し、キューポラ炉を撤去した。
1977年10月
会津工場を分社化し㈱会津工場 とした。
1980年
マリアブル鋳鉄の生産を終了し、ダクタイル鋳鉄の生産へ切り替えた。
1982年1月
英国、W.H.Booth社の開発した新鋳造法 "H"process(Hプロセス)の技術導入及び日本国における専用実施権を取得、実用化のための研究にはいる。
1982年4月
素材から加工完成まで一貫した生産を行なうための機械加工工場設立。マシニングセンタ(MCV500型4基・MCH450型4基)を設置。
1983年4月
東京通産局中小企業庁技術改善費補助金11,500,000円を受けHプロセス鋳造用のシェルマシンを新東工業と共同開発した。
1983年10月
Hプロセス用全自動シェルマシンを2基設置、量産体制検証に入る。
1984年10月
千葉工場のFMM-2Bラインを全自動造型設備(AMFⅡ-05)へ更新した。
1984年11月
千葉工場に、高強力ダクタイル鋳鉄および特殊合金耐摩耗鋳鉄の量産化に伴い、全自動連続式熱処理炉(能力500kg/Hr)を設置。
1988年4月
発光分光分析器を設置した。
1990年10月
千葉工場でSM50-DXラインを全自動造型機SM50-EXへ更新した。
1992年4月
軽合金鋳造工場として群馬工場を設立。
1998年5月
千葉工場で溶解炉を高周波誘導炉へ更新した。
1999年1月
群馬工場を分社化し ㈱内外とした。
2000年12月
代表取締役に松田弘義が就任した。
2002年6月
代表取締役を松田弘義が退任し、佐藤栄一が就任した。
2003年10月
ISO9001とISO14001を同時に認証取得した。
2004年12月
本社を東京都江東区から千葉市花見川区に移転した。
2005年1月
千葉県の経営革新計画の承認を取得した。
2005年1月
高周波誘導炉を増設、AMF造型機を更新した。
2005年3月
自動グラインダーを設置した。
2005年12月
代表取締役を籏野秀雄が退任した。
2006年6月
三次元測定器を更新した。
2010年1月
代表取締役に川田良則が就任した。
2011年1月
代表取締役を佐藤栄一が退任した。
2014年4月
小型工具付自動グラインダーを設置した。
2017年1月
代表取締役を川田良則が退任し、籏野泉が就任した。
2018年1月
代表取締役に鈴木直記が就任した。
2018年1月
事務所を敷地内に移転し、旧事務所を厚生棟にした。
2018年4月
外国人技能実習生の受け入れを開始した。
2018年4月
シェルマシン2台設置し、Hプロセス量産を始めた。
2019年2月
シェルマシン2台を増設した。
2019年3月
代表取締役を籏野泉が退任した。
2020年11月
熱処理炉を撤去。
2021年1月
出荷グループの生産体質改革工事を行った。
2021年5月
スイッチバックユニットを設置し鋳仕上げ検査工程を省人化した。
2022年5月
自動グラインダーを2台増設した。
2022年6月
代表取締役を鈴木直記が退任した。
2022年7月
代表取締役に北向貴が就任した。
2024年2月
代表取締役会長に籏野博が就任した。